川崎定孝かわさき さだたか
生没年 元禄7年(1694)〜明和4年(1767) 分類 幕臣・農政家

略歴
 武蔵国多摩郡押立村(現在の東京都府中市)の名主。享保改革で開発された武蔵野新田が、凶作に陥ると、元文4(1739)年新田世話役に登用され百姓を保護、指導し開墾や玉川上水修復した。寛保2(1742)年の大洪水には多摩川沿いの復旧に尽力し、支配勘定格に昇進、関東の天領3万石を支配する。寛延3年(1750)美濃郡代支配下の本田陣屋で4万石を支配、長良川・揖斐川の治水工事にあたった。宝暦12年石見大森(島根県大田市)代官となり,衰徽した銀山の回復を図り、明和4(1767)年勘定吟味役兼石見銀山奉行に上ったが,2カ月後に病死した。名代官として赴任地に供養塔や神社が建立されている。
場所 東京都 府中市 郷土の森博物館


 




戻る