笠井順八 | |||||||||||||||||||
生没年 | 天保6年(1835)〜大正8年(1919) | 分類 | 実業家 | ||||||||||||||||
略歴 |
長州(萩)藩の下級武士の家に生まれる。藩校明倫館に学ぶが、身分差による差別を嫌って退学し、以後独学で学ぶ。安政5年(1858)藩庁に召しだされ、明治元年(1868)までに郡奉行、御蔵元役所本締役などを務める。維新後山口県勧業局長などを務めたが、明治7年辞し、殖産事業に乗り出す。明治8年ごろからセメントに注目し、「士族授産」事業として、明治14年日本初のセメント製造会社(小野田セメントの前身)を設立し、34年まで社長をつとめた。 | ||||||||||||||||||
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