覚鑁かくばん
生没年 嘉保2年(1095)〜康治2年(1144) 分類 僧侶

略歴
 新義真言宗派の祖。仁和寺領肥前国藤津荘(現在の佐賀県藤津郡)に生まれる。13歳で上京し、仁和寺成就院の寛助の灌頂をうける。20歳で高野山に登り中絶していた伝法会の復興を志し,平為里、鳥羽法皇の外護を得る。大治5(1130)年小伝法院を建立して伝法会を復活、続いて大伝法院を建立して第1世座主となる。長承3(1134)年12月金剛峯寺座主を兼ねて, 40歳にして高野での最高権力の座についた。しかし排斥運動に遇って座主を辞し、保延6年金剛峰寺方の衆徒におそわれ指示する衆徒と共に根来山にのがれ、そこで円明寺をたてた。元禄3(1690)年興教大師の諡号を賜る。
場所 東京都 三鷹市 長久寺
 

場所 東京都 大田区 東光院




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