大内義隆おおうち よしたか
生没年 永正4年(1507)〜天文20年(1551) 分類 戦国武将

略歴
 大内義興の長男。三十一代。周防、長門、安芸、石見、筑前、豊前の守護。大友氏、少弐氏とたたかい九州北部を掌握する。将軍足利義時の要請で上洛を計画したが、尼子氏の安芸への侵入が始まって対立が激化、分国の統治に専念。文学・芸能をこのみ、明・朝鮮と交易し、キリスト教を保護して、ザビエルに布教の許可をあたえる。天文20年重臣陶晴賢の謀反にあい、9月1日長門大寧寺で自刃。45歳。幼名は亀童丸。
場所 山口県 山口市 龍福寺
 




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