大友宗麟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 享禄3年(1530)〜天正15年(1587) | 分類 | 戦国武将 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略歴 |
豊後国主大友義鑑の長子。本名義鎮。入道して府蘭、宗滴と称した。全盛期には、豊後のほか肥後、肥前、豊前、筑前、筑後など諸国の守護職に任じ、九州探題を併せ兼ねた。キリスト教を保護し、南蛮貿易をおこなう。天正6年受洗、洗礼名フランシスコ。10年少年使節をローマにおくる。天正6年11月、日向国耳川で島津義久と戦い、大敗して領国の衰退を招いた。天正14年、大坂城に豊臣秀吉を訪ね、窮状を訴えて救援を要請している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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