大隈重信おおくま しげのぶ
生没年 天保9年(1838)〜大正11年(1922) 分類 政治家

略歴
 佐賀藩士大隈信保の長男。長崎で宣教師フルベッキに英学をまなび政治家になることを決心。維新後、明治政府の徴士参与職、外国官副知事、大蔵卿、参議などを歴任。大蔵卿時代、秩禄処分、地租改正などを推進し資本主義の基礎を築く。明治14年の政変で官職を辞し、翌年立憲改進党を結成し、総裁。同年10月に東京専門学校(現早大)を創立。21年第1次伊藤内閣、ついで黒田内閣の外相となり、条約改正にあたるが、反対派に爆弾をなげつけられて右脚を失い辞職。31年板垣退助と憲政党を結成して日本初の政党内閣(隈板内閣)を組織したが4ヵ月で総辞職。40年政界を引退して早大総長。大正初年に憲政擁護運動が起こると政界に復帰し,大正3年第2次内閣を組織して第1次大戦に参戦、4年には対華二十一ヵ条要求を提出、批判を受け5年に辞職した。
場所 東京都 千代田区 国会議事堂中央広間

場所 東京都 新宿区 早稲田大学


 

場所 佐賀県 佐賀市 大隈重信記念館


 




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