大久保利通 | |||||||||||||||||||
生没年 | 文政13年(1830)〜明治11年(1878) | 分類 | 薩摩藩士・政治家 | ||||||||||||||||
略歴 |
名は利済。通称は正助、のち一蔵。号は甲東。鹿児島城下高麗町に生まれる。のちに加治屋町に移り、西郷隆盛と同じ郷中で交友を結んだ。島津久光に信任され文久元年小納戸役となり、寺田屋事件では急進派を上意討ちにする。元治元年の蛤御門の変では、会津藩と協力して長州藩を京都から追放したが、第一次征長後、西郷とともに公武合体から討幕へ路線を変更。慶応2年薩長同盟を結び、翌年の大政奉還を実現した。明治政府では参与、参議、大蔵卿などを歴任し版籍奉還・廃藩置県を実施。明治4年の岩倉遣外使節団に副詞として加わり渡欧し、産業革命後の近代工業の実体を視察。明治6年帰国すると参議として西郷隆盛の征韓論をしりぞけ、同年内務卿を兼任。佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争などを鎮圧。地租改正を実施し、立憲制の樹立をめざした矢先、紀尾井坂で暗殺された。 |
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