小野梓 | |||||||||||||||||||
生没年 | 嘉永5年(1852)〜明治19年(1886) | 分類 | 法学者・政治家 | ||||||||||||||||
略歴 |
号は東洋。土佐国幡多郡宿毛村に生まれる。明治2年上京して昌平黌に学び、明治4年アメリカ、明治6年イギリスに留学。帰国後の明治8年「共存雑誌」を創刊、明治9年以降、太政官少書記官、会計検査院検査官などを歴任し大隈重信の知遇を得るようになる。明治15年大隈重信の立憲改進党の結成に参加。立憲改進党の趣意書を起草し、大隈のブレーンとして活躍。東京専門学校(現早稲田大学)や出版社東洋館(現冨山房)の創立につくした。明治16年私擬憲法「国憲私案」を起草し、イギリス流の立憲君主制実現をめざしたが、立憲政治の実現をみることなく肺結核のため早世した。 | ||||||||||||||||||
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