奥村五百子 | |||||||||||||||||||
生没年 | 弘化2年(1845)〜明治40年(1907) | 分類 | 社会運動家 | ||||||||||||||||
略歴 |
肥前唐津に生れる。浄土真宗東本願寺派高徳寺住職奥村了寛の長女として生まれる。奥村円心は兄。勤王派の父兄の影響をうけ、高杉晋作、野村望東尼、西郷隆盛とまじわり尊攘運動に参加。朝鮮の志士金玉均らと交わり、明治27年と31年朝鮮に渡り光州に実業学校を創設、明治33年の北清事変に大谷勝信の皇軍慰問使に加わって日本軍を慰問、このときの体験がきっかけとなり、明治34年戦病死兵士遺族救済を目的とする愛国婦人会を結成した。機関紙『愛国婦人』を発行し、軍国主義を婦人層に広めるため全国を遊説して組織のの拡大に奔走した。明治38年には会員数46万に達した。 | ||||||||||||||||||
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