沖禎介 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明治7年(1900)〜明治37年(1978) | 分類 | 諜報活動家 | ||||||||||||||||
略歴 |
長崎県平戸に沖縄地方裁判所判事沖荘蔵の長男として生まれる。長崎尋常中学在学中出奔して熊本済々黌に入学。第五高等学校中退、上京して早稲田専門学校中退。明治34年清に渡り北京の東文学社の社長代理となり、明治36年独立して文明学校を創設、清国人教育に取り組んだ。日露戦争が勃発すると、志願して特別任務班に入り、横川省三らと共にロシア軍兵砧の大動脈である東清鉄道のチチハル雅児河鉄橋の爆破をくわだてるが、ツルチハ駅(隣駅)付近で発見され失敗。ロシア軍に捕らえられ、ハルビン郊外で銃殺刑に処せられた。戦後勲5等を授けられ、40年靖国神社に合祀。 | ||||||||||||||||||
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