岡倉天心おかくら てんしん
生没年 文久2年(1863)〜大正2年(1913) 分類 美術行政家

略歴
 横浜本町に生まれる。明治2年、ジェームズ・バラの塾で英語を、また長延寺玄導和尚から漢籍を学ぶ。明治8年には東京開成学校(のちの東京大学)に入学し、政治学、理財学を学ぶ。明治13年文部省に入り、またこのころから大学の師アーネスト・フェノロサの日本美術研究の通訳や助手を務め始めた。明治20年新設された東京美術学校(東京芸大)の幹事、明治23年校長となり、美術学校制度を実現。また22年美術誌『国華』を創刊し、23年から東京美術学校で日本美術史・泰西美術史を講義する。明治29年日本絵画協会、31年日本美術院を結成した。明治31年校長排斥運動(美校事件)で辞職。日本東洋の美術を西欧世界に紹介した。
場所 東京都 台東区 東京芸術大学




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