小田野直武 | |||||||||||||||||||
生没年 | 寛延2年(1750)〜安永9年(1780) | 分類 | 画家・秋田藩士 | ||||||||||||||||
略歴 |
出羽角館に生まれる。最初藩の抱え医師武田円碩について狩野派を学ぶが、安永2年(1773)7月、鉱業の振興をはかる藩の招きで院内・阿仁両鉱山の視察に来た平賀源内に蘭画的手法による写生を学ぶ。平賀源内に伴われて江戸にのぼり。杉田玄自等によって刊行された『解体新書』の挿し絵を担当した。安永6年に秋田に戻り、藩主義敦(曙山)や角館領主佐竹義躬の絵の相手役として重用された。安永7年10月藩主義敦の参観に従って、再び江戸にのぼる。このとき名作「不忍池」を描くが翌年の冬突如遠慮帰国を申し付けられ角館の自宅に謹慎、安永9年病没した。死因は諸説ある。法名絶学源真。 |
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