小淵 おぶち志ち
生没年 弘化4年(1847)〜昭和4年(1929) 分類 玉糸業

略歴
 群馬県勢多郡富士見村の農家に生まれる。15歳のとき、前橋市の製糸家のところで住み込み工女として入り、17歳で結婚。明治12年(1879)、取引で知り合いとなった中島徳次郎と故郷を出奔する。伊勢参宮の途中、二川に立ち寄り、二川の人のたっての希望で、繰糸法の教授をはじめる。その後当地で製糸業を開始するが、明治17年伝染病が流行し、役所が戸籍不明者の居住を禁止すると、志ちは徳次郎とともに偽造文書を作成し乗り切ろうとしたが、不正が発覚し警察に逮捕される。志ちは無罪となったが徳次郎は入獄。明治18年大岩に製糸工場を建設するが、翌年徳次郎は獄死。その工場に徳次郎の名をとって「糸徳工場」と名づける。糸徳工場は明治25年から玉糸専業となり、成功を収める。明治37年、同業者とともに菊水社を組織。晩年まで毎日工場の見回りを欠かさなかったという。没後、同業者たちによって岩屋山腹に建設された銅像は戦争で供出されが、現在は再建されている。
場所 愛知県 豊橋市 岩屋山






 

 




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