栄西 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 永治元年(1141)〜建保3年(1215) | 分類 | 僧侶 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
備中(岡山県)吉備津神社の社家賀陽氏の出。栄西は「ようさい」とも読む。別称に葉上房。比叡山で出家し、天台教学や密教を学ぶ。仁安3(1168)年から2度に宋に渡り、天台山、天童山で禅を受法して帰国、日本禅宗初祖とされる。博多に聖福寺、鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺を開き、『興禅護国論』を著すなど、戒律の重要性を説いた。建永元年(1206)年東大寺大勧進職となり、東大寺や法勝寺(京都)を再建、茶種を将来し、茶祖とされる。弟子に栄朝、退耕行勇、明全などがいる。千光国師と諡される。 | ||||||||||||||||||||||
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