雲龍久吉 | |||||||||||||||||||
生没年 | 文政6年(1823)〜元治2年(1891) | 分類 | 力士 | ||||||||||||||||
略歴 |
筑後国山門郡大和村(大和町)に生まれる。本名は佐藤久吉。幼少時に両親を亡くし、力仕事に従事。初め大坂相撲に加入し、弘化3年(1846)江戸に出て追手風部屋に入門。嘉永5年(1852)入幕し、4場所連続優勝故郷の柳河藩主立花鑑寛にめしかかえられる。安政5年(1858)大関、文久元年(1861)に第10代横綱となり、今日に伝わる横綱土俵入りの「雲竜型」をつくりだした。幕内成績127勝32敗。慶応元年(1865)引退して、年寄追手風を襲名。 | ||||||||||||||||||
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