上杉治憲 | |||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 宝暦元年(1751)〜文政5年(1822) | 分類 | 大名 | ||||||||||||||||||||||||
略歴 |
江戸麻布一本松の秋月邸に日向高鍋城主秋月種美の次男として生まれる。宝暦10年米沢城主上杉重定の養子となる。明和3年7月元服し、将軍家治の諱をうけて治憲と称し、翌年重定が隠居し、上杉家9代の家督を継ぐ。儒者細井平州に師事し、竹俣当綱、莅戸太華ら藩政の改革派を登用。倹約を奨励し、農村復興・殖産興業政策などによる藩財政の立て直しを進める。天明5年正月隠居、跡継ぎの治広に家訓「伝国之辞」をあたえる。享和2年10月剃髪して鷹山と号す。隠居後も、後見として藩政の諸般を監督した。 | ||||||||||||||||||||||||||
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