和泉式部 | |||||||||||||||||||
生没年 | 生没年不詳 | 分類 | 歌人 | ||||||||||||||||
略歴 |
越前守大江雅致の娘。母は平保衡の娘。早くから歌に秀で、父の関係で昌子内親王に仕えた。長徳2年(996)ごろ和泉守橘道貞と結婚し、夫の官名により和泉式部と呼ばれた。夫との間に小式部内侍を生んだが離別。「花山院歌合」などに出席して歌人として活躍。冷泉天皇の皇子為尊親王、敦通親王兄弟の求愛をうけたがともに死別。有名な『和泉式部日記』は、長保5年4月の為尊親王との出会いから、翌年一月に敦通親王の邸に引取られるまでの二人の恋を歌の贈答を中心に物語ったもの。のち中宮彰子(上東門院)につかえ、藤原道長の家司の一人、藤原保昌と再婚。中古三十六歌仙のひとりで、「拾遺和歌集」などの勅撰集に多数の歌がのる。 | ||||||||||||||||||
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