板垣退助いたがきたいすけ
生没年 天保8年(1837)〜大正8年(1919) 分類 土佐藩士・政治家

略歴
 戊辰戦争で総督府参謀をつとめる。明治4年新政府の参議、同6年征韓論をめぐって大久保利通らと対立し、西郷隆盛らとともに辞職。翌年一月民選議院設立建白書を提出。同年4月高知に立志社を創立して自由民権運動を指導した。14年自由党を結成して総理。翌15年4月6日遊説途中岐阜の中教院で刺客に刺され「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残した。24年再結成された自由党の総理。29年第2次伊藤内閣の内相。31年大隈重信と隈板内閣をつくり、内相。伯爵。33年政界を引退。
場所 高知県 高知市 高知城追手門


 

場所 東京都 千代田区 国会議事堂中央広間

場所 栃木県日光市 神橋




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