伊能忠敬 いのう ただたか
生没年 延享2年(1745)〜文政元年(1818) 分類 測量家

略歴
 名は忠敬、幼名は三治郎、のち左忠太、字は子斎、号は東河。通称は三郎右衛門、のち勘解由。上総山辺郡小関村に、網元小関直恒の次男として生まれた。佐原の酒造業者伊能家へ婿入りし、同家を再興、米穀取引などで家産をきずき、天明元年名主となり、天災に私財を投じ公益に尽くしたため、苗字帯刀を許された。寛政6年50歳で隠居し、翌年江戸深川に移り、幕府天文方高橋至時に天文暦学を学ぶ。寛政12年奥州街道と蝦夷地東南岸を測量して地図を幕府に献上。以降、幕府の支援を受けて全国を測量し、幕臣に取立てられた。文化13年全国の測量を終了し、「大日本沿岸輿地全図」を作成、作図作業中に自宅で死去した。
場所 千葉県 佐原市 佐原公園


 

 

場所 千葉県 佐原市 伊能忠敬記念館

 

場所 千葉県 佐原市 伊能忠敬旧宅


 




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