安積澹泊 | |||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 明暦2年(1656)〜元文2年(1738) | 分類 | 儒者 | ||||||||||||||||||||||||
略歴 |
二代藩主徳川光圀から五代宗翰まで四代に仕える。名は覚、字は子先、通称を覚兵衛といい、澹泊、澹泊斎、晩年は重圃、老牛、碧於亭と号した。十歳の時に江戸へ出て朱舜水の門に入る。天和三年に彰考館編修となり、『大日本史』の編纂に従事し、元禄六年三十八歳で彰考館総裁となった。元禄九年には、佐々宗淳(十竹)、中村顧言らとともに「重修紀伝義例」を作成、『大日本史』編纂の中心的存在として活躍。水戸を代表する学者として声望が高かった。「水戸黄門」漫遊記」の格さんのモデル | ||||||||||||||||||||||||||
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