天野清三郎 | |||||||||||||||||||
生没年 | 天保14年(1843)〜昭和14年(1939) | 分類 | 萩藩士・官吏 | ||||||||||||||||
略歴 |
大組士渡辺家に生まれ天野家の養子となる。安政4年吉田松陰の松下村塾に入門。安政6年萩西洋学所に入り、蘭・英語を習得。その後江戸に出て、桜田藩邸の有備館に学ぶ。文久3年奇兵隊に入隊したが、同年10月遊撃隊が編成されるとその用掛。慶応2年アメリカ、イギリスに留学し造船学をおさめる。維新後生家の渡辺家に戻り、蒿蔵と名を改めた。明治9年帰国して長崎造船所所長、工部省技師を勤め明治二十四年退職。松蔭門下で最も長い97歳で没した。 | ||||||||||||||||||
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