名前 |
吉田禄在 |
よみ |
よしだろくざい |
生年 |
天保九年(一八三八)
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没年 |
大正五年三月三日(一九一六) |
場所 |
愛知県名古屋市千種区 |
分類 |
尾張藩士・政治家 |
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略歴 |
もと弥左衛門と称する。はじめ三代藩主綱誠により徳川家下屋敷拡張のために漆地とされ、七代藩主宗春以後武家屋敷用地となった御添地(現東区板屋町など)の武家屋敷に天保九年九月二十三日誕生。父は吉田弥左衛門。幕末の尾張藩士として鉄砲方や信州木曾山の材木方を主管したが、明治二年四月大宮県出仕、のち浦和県大属、少参事となり、同四年十二月宇和島県典事に就任、同六年十月さらに愛媛県に移り、同九年二月職を辞し、愛知県に戻る。同年六月には愛知県第一区区長心得となり、八月第一区長に就任し、一等学区取り締まりも兼ねた。同十一年十二月郡区町村制が施行されたのを械に名古屋区長に任ぜられ、二十一年十一月その職を辞すまでの間、戸籍整備、窮民救助基金設定、南海道線敷設斡旋、道路・橋梁・溝渠改修、伝染病避病院隔離病舎創立、名古屋城金鯱の復旧と保存、米商会所設立、第十一国立銀行開設など区の発展に力を尽くし、区の基礎を築いた。官界から経済界に身を移しても、米商会所頭取、名古屋米穀取引所理事長、第四十六国立銀行頭取を歴任し、様々な功績を残した。一方、県会議員、市参事会員、衆議院議員に選出されて政界での活躍も大きい。大正五年三月三日死去した。法名は徳行院善応高顕。七十九歳。(三百藩家臣人名事典)
墓碑銘は「吉田禄在累代之墓」。
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吉田禄在墓所 |
吉田禄在の墓 |
ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
吉田禄在宅跡 |
愛知県名古屋市中区
栄4 |
栄4丁目の写真付近が屋敷跡になります。 |
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吉田山 |
愛知県名古屋市昭和区
鶴舞1丁目
鶴舞公園野球場 |
吉田禄在の所有地だったことから吉田山の名がつけられています。戦前はここに国宝に指定されていた猿面茶席がありましたが、戦災で失われています。 |
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