人物総覧 に 尾張藩 絵師

名前 西村清狂
よみ にしむらせいきょう
生年 享保十二年(一七二七)
没年 寛政六年十二月十一日(一七九四)
場所 名古屋市昭和区
分類 南画家
略歴

 名は百春、字は子芳、俗称は鑢屋清兵衛、清狂は其号にして、別に糟百春・千壽・酒民等の号あり。城南御園町に住す。幼より画を好み、習字に通ふの旁ら画を事とし、紙盡くれば朋友の法帖を奪ひて其余日に描くに至る。長ずるに及んで画法大に進み、而かも師家なくして自ら一機軸を出す。人と為り風流酒落、頗る池無名の人と為りに類す。性酒を好み、興に乗ずれば壺を携へて屋に登り、自ら飲み自ら楽む。松平掃部頭勝長画を好む。機材を邦内の名画者に下して、之をして描かしめて其技を試む。是に於て皆争ひて画を獻ず。清狂独り三年に及んで、叡ぜず。勝長人を遺はして之を問ふ。清狂始めて其遺忘せるに驚き、画成つて之を獻ず。勝長鑒賞して曰く、我れ未だ甞て雅致此の如きものを見ずと。因つて召見し画を其前に命ぜしと云ふ。甞て雅客城南長福寺に会し、書画の筵を開くや、清狂も亦与かる。期に及んで欣然として襪材を擁して往く。途友人の門前を経、入つて其事を語る。友人起酒す。清狂酣飲、時の移るを覚えず。既にして辞して出で、其所に抵れば日暮れ、会散し[門貝]として人無し。清狂乃ち還る。其拘らざる此の如し。安永十年正月出版の春興の一帖に、謝庵・東甫等と婦人画・梅園を出せり。嘉言の居を般若台に移すや、清狂戯に移居の図を作る。嘉言請うて之を其巻末に加へ、其上に題して「先生筆意新奇。墨韻飄逸。固非俗工之所及也」と云へり。清狂の画は小景の山水及び人物に得意にして、又狂画に妙なり。年六十八で没した。(名古屋市史)
 墓碑銘は「風雪清狂居士」。

西村清狂墓所

西村清狂の墓

西村清狂の墓(接近)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
池大雅 師事 江戸時代中期の文人画家、「山亭雅会図」、「十便十宜図」、文人画の祖 京都市上京区
丹羽嘉言 交友 江戸時代中期の画家、「神洲奇観図」 名古屋市昭和区
松平勝長 交友 江戸時代中期〜後期の尾張藩主徳川家一族、徳川宗勝の6男、製陶、絵画を嗜む 名古屋市千種区 現存せず


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
極楽寺 愛知県名古屋市中区
 大須2-5-20
 安永9年10月に極楽寺で開催された書画会「春興楽事」に作品を出品している。