掃苔帳 ち
 新徴組 維新殉難

名前 千葉雄太郎
よみ ちばゆうたろう
生年 弘化二年(一八四五)
没年 慶応元年(一八六五)十二月二十六日
場所 東京都府中市
分類 新徴組士
略歴

 名は長胤。武蔵国出身。父は松平大和守の家臣千葉新六郎(忠助)でその長男。庄内藩預りの新徴組六番組に所属し、慶応元年(1865)12月12日夜同僚の羽賀軍太郎、中村常右衛門らと江戸市内を見回りの折、神田明神前で暴行をはたらいていた幕府小譜請組石川又四郎配下の永島直之丞をその場で殺害した。
3人はその責を問われ、飯田橋の新徴組屋敷で切腹した。雄太郎は行年21。雄太郎の家督は弟の弥一郎が相続した。(庄内人名事典より)
 墓碑銘は「千葉雄太郎平長胤墓」

千葉雄太郎墓所

 
千葉雄太郎の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
千葉弥一郎 幕末の新徴組士、維新後実業家 東京都府中市
中村常右衛門 同僚 幕末の新徴組士、切腹 東京都府中市
羽賀軍太郎 同僚 幕末の新徴組士、切腹 東京都府中市


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
飯田橋新徴組屯所 東京都
 千代田区飯田橋1-9
 文久2年(1862)に出羽浪人清河八郎によってつくられた浪士組は新徴組と名を改め、飯田橋の武家屋敷を屯所として江戸の警備に当たった。
 永島直之丞殺害の責任をとってここで自刃した。