人物総覧 さ 尾張藩 書家

名前 佐々木玩易斎
よみ ささきがんいさい
生年 明和五年(一七六八)
没年 嘉永六年一月十七日(一八五三)
場所 愛知県名古屋市天白区
分類 書家
略歴

 名は庸綱、玩易斎は号。通称は宗六。伊勢鈴鹿出身。京都で書を大納言花山院愛徳にまなび免許を得る。初め九條家の政所方に勤め、朝廷の御用を受ける。職を辞した後、尾張名古屋に移り、南天道町清安寺門前の西に住み、華道を教授して家業とした。門人多くその書風を佐々木流と呼んだ。高須藩主松平義建が呼ばれ江戸に移り、そこで書を教授した。高齢のため義建のもとを去るにあたっては、高弟三好六左衛門を推薦した。尾張藩主徳川斉温にも教授したことがある。多くの尾張藩士を門下生としたが、10人の高弟を佐門十哲という。八十六で没。志純院玩易何言と諡した。
 墓碑銘は「玩易斎先生之墓」


  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
花山院愛徳 江戸時代中期〜後期の公卿、内大臣、右大臣 京都市西京区
佐々木利綱 江戸時代中期〜後期の医師、歌人、梅廼舎 情報求む
佐々木弘綱 幕末〜明治時代の国文学者、歌人、東京大学文学部古典科講師 三重県鈴鹿市
東京都台東区
徳川斉温 教授 江戸時代後期の大名(尾張藩)、11代藩主 名古屋市東区 残骸のみ
遺骨は瀬戸市
松平義建 教授 美濃高須藩松平(尾張)家10代 愛知県海津郡南濃町
三好想山 門人 江戸時代後期の尾張藩右筆、書家。「想山著聞奇集」。 情報求む